温故知新

50年前と10年後

2019年10月4日

遂に香港は1国1制度として飲み込まれる道に転げ始めた。

「あんたたちはギャングだ!マスクをとって顔を見せろ!」ひとりで警察に声をあげた勇敢な香港女性 ツイッターより

(1968年 チェコプラハ
しかし言葉の面では逆に被占領側が占領側を圧倒した。占領と同時に秘密放送が活動し、送り出す電波は、中欧の空にあふれていた。
街の壁には至るところで見えない手が、大きな文字を書いていた。抗議と呪いの言葉は、行進する青年の叫びとなり、拡声器の呼びかけとなり老若男女の通行人の面罵となり、兵士たちと議論する市民の弾劾の声となって戦車をとりまいた。
ドプチェク・スヴォボダの名は国中に偏在していた。
「われわれは引き返さない」「社会主義の建設は戦車ではできない」「民主主義は君たちの知ったことではない、占領は我々の知ったことではない」「プラハ特派員のモスクワ宛電報に曰く、プラハで今朝反革命分子が二十人生まれた、戦車二十台至急送れ」「レーニンよ墓から立ち上がれ、ブレジネフの頭がおかしくなった」
チェコスロバキア政府の公式の訴えは、
第一、占領は不法な侵略行為である。
第二、「自由化」政策の目的は、「民主主義的社会主義」の建設である。
第三、政府はワルシャワ条約からの離脱を求めず、その枠の中で内政不干渉、相互の主権尊重を求める。
ソ連側の拡声器のいうところは、
第一、軍事介入は「チェコスロバキアの政治的主導者の要請」にもとづくということ
第二、その目的は「反革命分子」に脅かされた社会主義をまもるためであるということにすぎない。
しかし、政治的主導者(複数)の名前は明らかにされず、反革命の定義も明らかではなかった。
もし軍事介入が、人民を救うためであったとすれば、かって赤軍がナチ権力の支配から解放したときのように、乗り込んだ軍隊は人民から歓迎され、協力を得たであろう。
言葉は鋭くても一台の戦車さえ破壊することができない。戦車は、プラハ全体を破壊することもできる。
しかし、プラハ街頭における戦車の存在を正当化するためにはどうしても言葉を必要とする。

加藤周一「言葉と戦車を見すえて」より

中国は50年遅れて旧ソ連の後を追っている。半世紀遅れている。

これはある国の10年後かもしれない。