Flygskam

グレタ・トゥーンベリさんの行動をきっかけに、

欧州で広まっているのが、「Flygskam」(フリュグスカム:スウェーデン語で「飛び恥」の意味)という運動。

これは、安易に飛行機に乗ることを「恥」とみなし、

できるだけ鉄道など、

より環境負荷の少ない移動方法を選択しよう、という考え

 

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グレタ・トゥーンベリ

https://www.reishiva.net/entry/2019/12/12/123333 より

 

汚名「内閣記者会」

A倍がベラベラ話しただけの会期末記者会見。
官邸記者クラブが政権延命に加担しているのは明らかだ。
御用記者たちに首相への質問権を独占する資格はない。


ツイッターより

内閣記者会 総理大臣官邸の敷地内にある記者クラブ

内閣記者クラブ 内閣府記者クラブ

シンギュラリティーはいつか?

真のシンギュラリティー

「朝起きて、朝食を食べ、

歯を磨き、

外出着に着替え、

自転車に乗り、

駅で切符を買い、

改札を通り、

電車の着くホームに行き、

電車では揺られながら倒れもせず、

鞄を落とさず、

到着駅で降り、

階段を一歩づつ上り、

改札機のキップ挿入口にキップを入れ、

コンビニで120円のお茶を買い、

千円札を渡し、

釣りが正しいか確認し、

バスに乗り、

停車バスストップで降り、

少し傾いた通勤路で倒れもせずに間違いなく歩き、

出勤マシンに社員カードを当て、

顧客からのクレームにお詫びし、

休日には小山へ登山に行く」

これら総てが一体で出来てこそのシンギュラリティーだろう。

中村哲医師の残したもの 4

中村
一つは敵の敵に対する親近感です。日露戦争や太平洋戦争など、欧米と干戈を交えた(戦争した)のはアジアの中で日本だけだった。
彼らはイギリスの支配に随分苦しめられた時代があって、日本という国に親近感を抱くようになった。
日露戦争もそうです。アフガニスタンの場合は、1800年代後半、南下するロシアと北上する英国、
その狭間の中で生き抜いてきたという国際環境が日本と似ています。
アフガニスタンは険しい山岳という自然条件、日本は極東という遠距離によって、かろうじて独立を維持してきた。
英国とは三回も戦争して撃退しています。
もう一つは、「ヒロシマナガサキ」を必ず連想するそうです。
その悲劇に対する同情、そして戦後廃墟の中から復興した「平和国家・日本」は称賛の的でした。

中村
うん、前ほどは芳しくないですね。ただ、古い世代がまだ生きている。強い好感を持ってくれていた世代です。
しかしもう新しい世代になると、欧米の一員くらいにしか見ない者が増えています。
ただ、アフガニスタンには軍服を着た日本の兵隊は来なかった、そのことは大きかった。
日本だけは違うんだ。至らない点は多々あるにしても、民生支援を中心にやっているんだ。という意識はまだ強いです。

中村
軍隊をくり出して人を殺めなかったことは、非常に大きかったのです。
誤解から親日感情が湧いたにしても、その感情を踏みにじらなかったことが、好印象を与えたのでしょう。

中村
うん。敏感ですよ。自分たちはどちらかというと、作業員の人々と接する中で、
下々と言っては失礼ですけれども、社会の大部分を占める底辺の階層がそう見ている。それは感じます。

中村
彼らは憲法9条のことなんか知らないですよ。ただ、そういう国是があるのだとは感じていると思います。

ーそれが今もしかしたら、変化してしまうかもしれないことは知っているんでしょうか。ー

中村
漠然とは感じているでしょう。現地の人々は日本人以上に国際情勢に関心が強い。BBCニュースを聞くのは日常です。
去年日本人がシリアで捕まりましたよね。あんなニュースもすぐ作業現場で話題になります。

ペシャワール会 中村哲医師に聞く

中村哲医師の残したもの 3

皆様、御苦労さまです。中村と申します。

もう現地に行きまして約十七年半になりますが、私、実は国内で何が起きているのかよくわかりませんで、失礼ですけれども。
ただ、向こうから戻りまして、余りに現実を踏まえない図式に基づいた議論だけが先行、失礼な話でございますが、
本当にアフガニスタンの実情を知って話が進んでおるのだろうか、率直な意見を持つわけでございます。
きょうは、私は、全くの政治音痴でして、左も右もわからないという中で、さっき忌憚のない意見ということをおっしゃいましたので、
忌憚のない意見を述べたいと思います。
ただ、その際に、そう言いますと、すぐ烙印を押されまして、日本全体がもうテロ対策、アメリカを守るためにどうするんだ、
タリバンというのは悪いやつだという図式で動いておりますので、あたかもこれを守るような発言をいたしますと、すぐタリバン派だと言われる。
私は、断っておきますが、タリバンの回し者ではありません。
それからイスラム教徒ではありません。キリスト教徒でございます。
こういう、憲法がどうだとか、そういう法律のことはよくわかりませんので、
ともかく、今現地で何が起きているのか、何が問題なのかという事実を皆さんに伝えたいというふうに思っております。
ただ、どうもイメージと違うという点がございましたら、どうぞ忌憚なく後で御質問いただければと思います。
私たちの活動を簡単に紹介いたしますと、ペシャワール会というのは一九八三年にできまして、十八年間、現地で医療活動を続けてきました。
現在、パキスタン北西辺境州の国境の町ペシャワールを拠点にいたしまして、一病院と十カ所の診療所がありまして、
年間二十万名前後の診療を行っております。
現地職員が二百二十名で、日本人ワーカーが七名、七十床のPMS(ペシャワール会医療サービス)病院を基地に、
パキスタン北部山岳地帯に二つの診療所、アフガニスタン国内に八つの診療所を運営いたしまして、国境を越えた活動を行っております。
私たちが目指すのは、山村部無医地区の診療モデルの確立、ハンセン病根絶を柱にいたしまして、貧民層を対象に診療を行うことでありますが、
後で申し上げますように、今回の干ばつ対策の一環として、ことしの春より、無医地区となりましたカブールに五カ所の診療所を今でも継続しております。
この間、皆さん御記憶のように、一九七九年十二月に旧ソ連軍の侵攻がありまして、十万の大軍が侵攻いたしまして、
以後何と二十二年間、アフガニスタンは内戦の要因を引きずってきたわけでございます。
この内戦だけで、死亡した戦闘員あるいは外傷による戦死者だけで七十五万名、恐らく民間人を入れますと二百万名。
これは私、目撃者として、確かにほとんど死んだのは、女、子供、お年寄り、ほとんどこの戦闘とは関係ない人々であったわけですね。
六百万名の難民が出て、それに加えて今度の大干ばつ、そしてどういう原因か私もよく知りませんけれども、報復爆撃という中で、
もう痛めに痛めつけられて現在に至っております。
この中で、先ほど申しましたように、アフガニスタンを襲いました世紀の大干ばつ、大げさなように聞こえますが、これは本当に危機的な状況でございまして、
私たちの活動もこれで終わるかもしれない、アフガニスタンの半分はこれで砂漠化して壊滅するかもしれないということで、
昨年から必死の思いで取り組んできたわけでございます。
WHOや国連機関は、昨年春からこのことについて警告を発し続けておりましたが、国際的に大きな関心を引かなかったんですね。
もちろんこれは、テロ事件などと違いまして、政治的にも意味合いが違いますし、慢性に起こるものですからなかなか関心を引かなかった。
アフガニスタンが一番ひどくて、被災者が千二百万人、四百万人が飢餓線上にあり、百万人が簡単に言うと餓死するであろうという発表がありましたのは、
約一年半前でございました。
もちろん、人命のとうとさというのは数ではかれるものではありませんけれども、我々簡単に百万人が餓死するだとか言いますけれども、
実際に目の当たりにしますと、先ほどお話がございましたが、映像で見る状態と実際に現場で見る状態は違うんだ、
もっと生々しいものなんだとおっしゃいましたが、まさにそのとおりでありまして、実際の修羅場を前にすれば決して生易しいものではない。
食糧だけではなくて飲料水が欠乏して、次々と廃村が広がっていくという事態が起きたわけでございます。
下痢、簡単な病気で主に子供たちが次々と命を落としていったわけでございます。
私たちとしては、この事実をみんなに訴えながら、言うだけではだめですから、真っ正面から組織を挙げて対策に取り組んできました。
診療を中心に、医者がこんなことを言っちゃいけませんけれども、病気なんかは後で治せる、まず生きておれという状態でございまして、
診療所を中心にいたしまして、アフガニスタン東部一帯の干ばつ地帯に速やかに展開いたしまして、水源確保事業、
ともかく、食べ物はなくても何週間か生きておられるわけですね、水がないと二十四時間以上生きられない、そういう状態であったわけです。
そこで、私は医者でございますけれども、水を得ようということで水源確保事業に取り組んでおりまして、
現在まで約六百六十ほど水源に取り組んで、そのうち五百五十カ所、利用水源を得ております。
中には、一たん難民化していなくなって砂漠化した村が、水路、現地にカレーズあるいはカナートと呼ばれる伝統的な水路がありますが、
それを三十本復活して、一万数千名を養えるだけの緑地を回復する。
それで全部戻ってくるという奇跡的なことも起きたわけでございます。
医療面では、ことしの一月、国連制裁が何と、私たちも初めのうち、我々が頑張ってくれば必ず国際的に大きな援助がどんと来るんだ、
こんなのをだれも放置しておかないだろう、エチオピア大干ばつ以上の規模であるということでしたが、やってきたのは制裁でございました。
そのために、ただでさえ少なかった外国の救援団体が次々と撤退していくという中で、
まさにアフガニスタンは孤立化への道をこれによって深めていったわけでございます。
私たちとしては、それだからこそ必要なんだということで、カブールの、事実上、カブール市内は、もとの裕福なカブール市民というのはほとんどいない。
二割、三割程度しか残っていない。
あとは、先ほど申しました干ばつによりまして逃れてきた難民たち、国内難民ですね、これであふれておる状態でございまして、
現在、百万人から百五十万人、この約一割がことしの冬を生きて越せないだろう、この約三割から四割が慢性の飢餓状態で、
簡単な病気で死んでいく、こういう状態でございます。
私たちとしては、だれもやらないなら、ニーズがあってだれもやらないのなら我々が行く、
我も我もと行くところなら行く必要がないというのが我々の方針でございまして、緊急にことしの二月から、正式には三月から診療所を開設したわけでございます。
これでもまだ不十分だということで、水源の目標数をことし以内に一千カ所、カブール診療所を年内に一挙に十カ所にしろということで
おぜん立てをしている最中に、九月十一日の同時多発テロになったわけでございまして、私たちの事業は一時的にストップいたしました。
初めのショックから立ち直って、今、拡大こそしていませんが、今までやってきた事業は、爆撃下にありながらも、
勇敢なスタッフたちの協力によりまして、何事もなかったかのように継続しております。
今、私たちが恐れておるのは、難民難民という議論が先ほどからございますけれども、カブール、これは首都カブールが最も大きな町ですけれども、
カブールだけではなくてほかの都市もそうですが、飢餓です。
飢餓であります。
現地は今から寒い時期に入ってくる。市民は越冬の段階に入ってきておる。
今支援をしなければ、ことしの冬、先ほど申しましたように約一割の市民が餓死するであろうというふうに思われます。
このため、私たちは、緊急の炊き出しとでも申しますか、食糧配給を開始いたしまして、既にその準備は完了いたしました。
私たちが訴えたいのは、難民が出てからでは、これは手間もかかるし金もかかるというだけではなくて、悲劇が大きくなる。
難民を出さない努力というのをまずやらなくちゃいけないというのが、現地におる私たちとしてはぜひ訴えたいことでございます。
どこか、ペシャワール側で見てみますと、これは日本側に帰っても驚きましたけれども、難民が出てくるのを待っておる。
ペシャワールには現在百四十数団体が集結しておりまして、難民が出たらこうしよう、ああしようと言っているけれども、
実際のいわゆる我々が想像するような難民は今のところ発生しておりません。
私たちが全力を挙げて取り組むのは、少なくとも、けがをして逃げてくる人たちは別として、
飢餓による難民は一人もペシャワールに出さないという決意で全力を挙げて現在の仕事をやっていくつもりでございます。
話が長くなりましたけれども、難民援助に関しましてもこういう現実を抜きにして、ちょっと失礼かもしれませんけれども、
どうぞお怒りになりませんように、こういう現実を果たして踏まえて議論が進んでおるのかということに、
私は一日本国民として一つの危惧を抱くわけでございます。
例えば、いろいろ考え方はありますけれども、テロという暴力手段を防止する道に関しましても、
これは暴力に対しては力で抑え込まないとだめだということが何か自明の理のように議論されておる。
私たち、現地におりまして、対日感情に、いろいろ話はしませんけれども、日本に対する信頼というのは絶大なものがあるのですね。
それが、軍事行為に、報復に参加することによってだめになる可能性があります。
ほかの地域ならともかく、アフリカだとか南アメリカは私はよく知りません、あの地域しか知りませんので、現地に即して言いますと、
例えば自衛隊派遣が今取りざたされておるようでありますが、詳しいことは後で御質問で受けたいと思いますけれども、
当地の事情を考えますと有害無益でございます。
かえって私たちのあれを損なうということははっきり言える。
私たちが必死で、笑っている方もおられますけれども、私たちが必死でとどめておる数十万の人々、これを本当に守ってくれるのはだれか。
私たちが十数年間かけて営々と築いてきた日本に対する信頼感が、
現実を基盤にしないディスカッションによって、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去るということはあり得るわけでございます。
この点、あと、要するに言いたいことは、まず現地はどうなのか、実情はどうなのかということを踏まえた上で何かを決める。
私はそういう偉い人ではありませんから、どうしようと日本国民の一人として法律に従いますけれども、
アフガニスタンに関する限りは、十分な情報が伝わっておらないという土俵の設定がそもそも観念的な論議の、
密室の中で進行しておると言うのは失礼ですけれども、偽らざる感想でございます。
私ばかり話していると後の方が話す時間がありませんので、一応私の話を終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)

2001年10月13日衆議院

中村哲医師の残したもの 2

 ○参考人中村哲君) 中村です。
ペシャワール会現地代表として発言を許していただきたいと思います。
私は、実はおとといまでジャララバード北部にあります干ばつ地帯の作業現場で土木作業をやっておりました。
なぜそうなのか。
今日の議題と一見関係ないようですけれども、実はアフガニスタンを襲っているのは、最も脅威なのは大干ばつでありまして、
今年の冬、生きて冬を越せる人がどれぐらいいるのか。
恐らく数十万人は生きて冬を越せないだろうという状況の中で、私たちは、一人でも二人でも命を救おうということで力を尽くしております。
そのために用水路の建設、これは冬が勝負のしどころでありまして、何とか完成しようということで力を尽くしておるわけであります。
繰り返しますけれども、アフガニスタンにとって現在最も脅威なのは、みんなが食べていけないということであります。
イギリスの著名な団体の発表によりますと、恐らく五百万人の人々がまともに食べられない、
飢餓状態にあるというのがアフガニスタンの現実でありまして、このみんなが食べていけない状態、
そのためにみんな仕方なく悪いことに手を出す、あるいは傭兵となって軍隊に参加するという悪循環が生まれておりまして、
今日審議される事柄と決して無縁どころか、一つの大きな要因を成しておるのではないかというのが私たちの認識であります。
例えば、穀物自給率は半分以下、小麦の価格はこの一年で三倍から四倍に高騰しておりまして、普通の人々はもう生きていけない。
私たちの職場でも職員百五十名の給与を過去五回にわたって上げましたけれども、それでも食えない状態と。
一般の人々にとっては戦争どころではないというのが思いであろうかというふうに私たちは考えております。
衣食足って礼節を知るといいますけれども、まずみんなが食えることが大切だということで、私たちはこのことを、
水それから食物の自給こそアフガニスタンの生命を握る問題だということで、過去、ペシャワール会は干ばつ対策に全力取り組んできました。
私たちは医療団体ではありますけれども、医療をしていてこれは非常にむなしい。
水と清潔な飲料水と十分な食べ物さえあれば恐らく八割、九割の人は命を落とさずに済んだという苦い体験から、
医療団体でありながら干ばつ対策に取り組んでおります。
その結果、現在、ジャララバード北部、具体的にはニングラハル州北部全域に展開いたしまして、
五年前から用水路の建設に着手いたしまして、現在二十キロメートルを完成しつつあります。
その結果、それまで荒廃していた砂漠化地帯で十数万人の人々が帰ってきて生活できるようになる。
更にこれが二十数キロ完成いたしますと約五千ヘクタールから六千ヘクタールの新たな開墾地が生まれまして、
二十万人、三十万人以上の食料自給が可能になるということで、地域住民と一体になって仕事を進めておるところであります。
それだけではなくて、こういった人海戦術を使った、現在五百名以上の作業員が私たちと仕事をしておりますけれども、
当然雇用が発生する。それを聞き付けて、パキスタンに逃れておった干ばつ避難民が戻ってくる、あるいは国内避難民が戻ってくるということで、
仕事をしている間は日当で何とか食い、それから水が来れば、これは自分たちの土地ですから、自給自足の国なんですね、
アフガニスタンは八割以上が農民の国でありまして、彼らは水さえあれば、所得こそ少ないですけれども、農産物さえあれば決して貧しい国ではない。
彼らの要求というのはそう高くない。
家族がまず一緒にふるさとにおれて十分な食べ物があること、それ以上の望みを持つ人は私は少ないと思います。
そういうことでありまして、私たちは、まずは水、それも清潔な飲料水。これは、具体的には千五百本の井戸を私たちは掘ってきましたけれども、
この事業も継続されております。
さらに、農業生産力、農業自給率を高めるということに力を尽くしております。
さらに、今アフガニスタンの問題がいろいろ言われておりますけれども、この干ばつに加えまして、
アフガニスタンをむしばんでおるのが暴力主義であります。
これはアフガン人の暴力であることもありますし、外国軍による暴力のこともある。
これがアフガンの治安の悪化の背景を成しておりまして、私どもはこれに対しても心を痛めておる次第であります。
今、盛んに報道されておりますけれども、アフガニスタンは現在治安が悪くなる一方でありまして、
しかもその治安悪化が隣接するパキスタンの北西辺境州まで巻き込んで膨大な数の人々が死んでおるということは皆さん御存じだと思います。
先ほど冒頭に述べました干ばつとともに、いわゆる対テロ戦争という名前で行われる外国軍の空爆
これが治安悪化に非常な拍車を掛けておるということは、私は是非伝える義務があるかと思います。
一口にいろんな反政府運動だとか武装組織だと言いますけれども、アフガン土着の反抗勢力を見渡してみますと、
基本的にアフガンの伝統文化に根差した保守的な国粋主義運動の色彩が非常に濃い。
切っても切っても血がにじむように出てくる。
決してある特定の、旧タリバーン政権の指令一つで動いておるわけではない。
いろんな諸党派が乱立しまして、それぞれに外国軍と抵抗している状態。
それから、かつてなく欧米諸国に対する憎悪が民衆の間に拡大しているというのが、
私たちは水路現場で一般の農民たちと接しておりまして感じる実感であるということは伝えておきたいと思います。
もちろん、いろんな反抗勢力の中には、私たちの伊藤君、職員の一人であった伊藤君が犠牲になったように、とんでもない無頼漢もいますけれども、
各地域でばらばらにそういった自発的な抵抗運動が行われておる。
それだけ根が深いわけでありまして、恐らく二千万人のパシュトゥン民族農民を抹殺しない限り戦争は終わらないだろうというのが、
これは私ではなくて、地元の人々、これは地元のカルザイ政権も含めた人々たちの意見でありまして、
しかも、武装勢力といっても、アフガン農村について日本で知っている人は少ないと思われますけれども、
兵農未分化、すなわち侍と百姓が未分化な社会でありまして、すべてのアフガンの農村は武装勢力と言えないことはない。
その中で混乱状態が何を引き起こすかというのは御想像に任せたいと思います。
しかも、アフガン農村では復讐というのは絶対のおきてであります。
ちょうど赤穂浪士のようなものなんですね。
私たちはニュースの上で、アメリカ兵が今年は何名殺された、カナダ兵が何名殺されたということはニュースになりますけれども、
その背後には、一人の外国兵の死亡に対して、何でもない普通の人が死ぬアフガン人の犠牲というのはその百倍と考えていい。
すなわち、外国人の戦死あるいは犠牲者の百倍の人々が、日々、自爆要員、いわゆるテロリストとして拡大再生産されていく状態にあるということは
是非伝えるべきだと私は思います。
アフガニスタンパキスタンの国境地帯もこの悲劇が及んでおりまして、現在、抵抗勢力が何か危ないとパキスタン側に逃れるということで、
パキスタン側、アフガニスタン側両側から挟み打ちのようにして軍事作戦が行われておるようでありますけれども、
これがまた今度は、うそのような話で、パキスタン国境地帯からアフガン側に流れてくるパキスタン難民というのが発生する。
こういった事情の中で、私が二十五年いる中では現在最もアフガニスタンは治安が悪くなっておる状態だと言うことができると思います。
さらに、対日感情につきましても、これは少しずつ陰りが見えてきておるということは私は是非伝えておく必要があると。
かつて広島、長崎というのは現地では有名でありまして、アフガン人の知識人のほとんどは、
アフガニスタンの独立と日本の独立が同じ日だというふうに信じている人が多いくらい親日的なんですね。
ところが、最近に至りまして、米国の軍事活動に協力しているということがだんだん知れ渡ってくるにつれて、私たちも身辺に危険を感じるようになりました。
やはり、あの最も親しいと思っていた日本が同胞を殺すのかと思えばこれは面白くないわけでありまして、
これは日々日本に対する感情は悪くなっているということははっきり言ってもいいんじゃないかと思います。
かつては、我々、外国人、欧米人と間違えられないために日の丸を付けておれば、まず山の中のどこに行っても安全だった。
ところが、今その日の丸を消さざるを得ないという状況に立ち入っているというのが現実であります。
私の舌足らずの点は後ほど質問の中でるるお答えしたいと思いますけれども、
現在、日本の中でいろんな議論がされておりますけれども、よく私たち、私たちといいますか、
日本で当然のように議論のベースになっておる国際社会という言葉、これに私は率直に現地から疑問を呈さざるを得ない。
国際社会という実態は何なのか。
少なくともアフガンの民衆は国際社会の中には入っていないということは、
一連の議論の中から私が率直に、先ほど忌憚のない意見をということでしたので忌憚なく申し上げますと、
国際社会の実態というのは、少なくともアフガニスタンパキスタンの民衆はその中には入っていないということは言えると思います。
私たちは、国際社会、国際協力、国際貢献と言うときに、何をもって国際と言うのかという
土俵からして十分な審議を尽くさなくちゃいけないのではないかというふうに思います。
話が長くなりますけれども、やはりこれは、国際というのは、国や国家が、国家、民族、宗教を超えて、
人々が互いに理解し合って命を尊重すること、これが平和の基礎であろうと現地にいて分かるわけですね。
今、日本はその分かれ目にある。
これが最後になりますけれども、いかにより良い世界、より安全で平和な日本を自分たちの子孫に残すか。
我々は十年、二十年かすると死ぬ、あるいはぼけてこの世からいなくなってくる。
この日本の子孫たちにどういう世界を残すのか、私たちは岐路にあると思います。
このアフガン問題というのは確かに局地的な国際紛争かもしれませんけれども、
これを目先の政治的な道具にしたり、あるいは目先の経済的な利益という観点から見るのでなくて、
実際にこれからの日本の岐路を決定する重要な問題だとして先生たちの十分な討議をお願いいたしまして、
舌足らずではありますが、私の意見とさせていただきます。
 どうも御清聴ありがとうございました。

2008年11月5日参議院証言

中村哲医師の残したもの 1

アフガニスタン東部のガンベリ砂漠は今、平和な静寂が支配している。かつて荒涼たる水無し地獄だった原野は、深い森が覆い、遠くで人里の音-子供たちが群れ、牛が鳴き、羊飼いたちの声が、樹々(きぎ)を渡る風の音や鳥のさえずりに和して聞こえる。

 この一角に我々(われわれ)の広大な農場があり、今も開拓が進められている。その中心地に1万2千坪(約4万平方メートル)ほどの記念公園があり、四季の花が咲き乱れ、人々に憩いの場を提供する。

 「ここは無人の砂漠だった」。ふとよみがえる過去の惨状を思うと、この平和な光景が夢のようだ。

 ●農民たちの死闘

 2003年に開始された用水路の建設は、09年の夏、ここガンベリ砂漠で最後の難関に差し掛かっていた。用水路の着工から7年目、乾いた熱風と強烈な陽光、過酷な自然環境の中で約400人の作業員が難工事に挑み、泥まみれで働いた。砂漠の気温は昼近くになると摂氏50度を超える。乾いた熱風で木の葉がドライフラワーのように乾燥することもある。熱中症が続出したが、手を休める者は居なかった。

 作業員は全て近隣の農民で元難民、干ばつで農地を失い、故郷を離れていた者たちである。2000年の大干ばつは凄(すさ)まじく、多くの村落が短期間のうちに壊滅して餓死者が相次ぎ、多くの村が放棄された。その日の食にも窮していた彼らは、水が来るという噂(うわさ)を聞いて希望を持ち、故郷に戻った者が多かった。

 彼らの願いはただ二つ、1日3回の食事が摂(と)れること、家族一緒に故郷で暮らせること、それだけだ。用水路が開通すれば、その願いが叶(かな)えられる。だが成功しなければ、再び食うや食わずの難民生活に戻らねばならない。用水路の成否は、彼らの死活問題であった。

 09年8月の通水試験が成功裏に終わったとき、作業に従事した住民は狂喜した。その日の糧を得るために、もう卑屈になったり、物乞いしたりせずともよい。餓死の恐怖が去り、神と良心の前に胸を張って生活できる。その自由をかみしめたのだ。人々の生き伸びようとする健全な意欲こそが、用水路を成功に導いた力の一つであった。「これで生きられる!」という叫びこそが、立場を超えて、生を実感して得られる人間の輝きだと今も思っている。

 その後は、人々の祈りが裏切られることはなかった。荒地は次第に緑の沃野(よくや)で覆われ、隣接地帯に建設された八つの新たな取水堰(しゅすいぜき)と水路によって安定灌漑(かんがい)地が拡大した。19年現在、総面積1万6500ヘクタール、65万人が暮らせる農地が回復した。この苦闘を心に留めるべく、「ガンベリ記念公園」が開かれたのである。

 ●文化を測る指標

 アフガン人は花を愛し、詩を愛する。記念公園の美しい花園は今、全国各地から訪問者が絶えない。バラ、ジャスミン、ザクロ、多種多様の花は、特別な専門家が準備したのではなく、全て我々PMS(平和医療団・日本)の職員と作業員が持ち寄って植えたものだ。この公園を約3万本のオレンジの園が取り囲み、早春、一面の白い花が辺りを香りで満たす。

 アフガニスタンでは伝統的な詩会が健在で、季節の花をテーマに詩人たちが集い、即興詩を吟ずる。南部ではカンダハルのザクロ、東部ではジャララバードのオレンジが有名だ。詩人は昔からどこにでも居て、無名の農民から王侯貴族まで、身分、国籍を問わず集まってくる。完全に口承文学で、読み書きのできぬ有名詩人までいるのだ。無学な作業員でも2人以上集まれば、即興詩で楽しみ合う光景は珍しくない。

 大干ばつの影響でアフガン東部の柑橘(かんきつ)類が全滅に近い打撃を受け、恒例のオレンジ詩会も途絶えがちになっていたが、ガンベリ公園のオレンジの香りを嗅(か)ぐ者は、詩会がガンベリで本格的に復活することを夢見ている。PMSが手掛ける「緑の大地計画」は単に農業の回復ではなく、伝統文化をも支えるものだ。

 我々はつい教育の重要性を説くあまり、地域に根差す豊かな文化を忘れがちだ。経済的な貧困は必ずしも精神の貧困ではない。識字率や就学率は必ずしも文化的な高さの指標ではない。「これで生きられる」という、あの安堵(あんど)の叫びの中に、自信と誇りが込められていたと思えてならない。

 × × 

 「アフガンの地で」は、アフガニスタンで復興支援活動を続ける「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表でPMS総院長の中村哲医師(72)によるリポートです。次回は12月掲載予定。

中村哲医師からの報告 花を愛し、詩を吟ずる から引用

省略できない。

官僚の矜持

アメリカ下院の公聴会

トランプを始めとする閣僚たちに不利な事実を毅然と証言した証人がいた。

アレキサンダー・ビンドマン国家安全保障会議NSCウクライナ担当(陸軍中佐)

ユダヤ系ロシア人だった彼は、3歳の時に兄弟とともに父親に連れられてソ連からアメリカにわたった。

このとき父親の所持金は700ドルだった。

後に兄弟3人共軍人となっている。

ビンドマンはウクライナ語とロシア語を操り、またキエフとモスクワの大使館に勤務し、軍内部でも重要な人物として高い評価を受けている。

また、彼は戦争で死傷した軍人に与えられるパープルハート章も受けている。

ビンドマンはトランプの電話発言を聞いて、直ちにホワイトハウス内の法律顧問に政敵を外国政府に調査させることは、不適切であると報告している。

発言の中で、彼は父親にこう呼びかけた。

ロシアでは死を覚悟しなければ大統領に反する発言をすることはできません。
お父さん、今日、私が連邦議会で証言をすることが、あなたが40年前にソ連を離れてアメリカに来たことが間違っていないことを証明しています。
私は、大統領の意に反するような発言もできます。なぜなら、ここはアメリカですから

https://twitter.com/SamejimaH/status/1199840366515482624 と 「論座」より

今日の「笑った」

追い込まれてどうにもならなくなって逃げるのに
「私の判断で中止」と言い張るの、
池乃めだかがボコボコにされて
「今日はこのぐらいにしといたる」と言うのと、
見事に重なるな。

https://twitter.com/MatsumotohaJimu/status/1194602243313426432