日本人には少数意見の尊重という考え方は薄い。
暗々裏に少数派がなければ一番いいと考える。
すなわち日本人が集まって、何か意見をいうときに、
全会一致が一番いい光景であり、
そこに一人か二人ちがう意見の人がいると、
それは不幸なアクシデント、事故になる。
器
(ふっと思い出した。他意はある)
元米国副大統領ダン・クエール
1988年の大統領選においてジョージ・ブッシュ(親ブッシュ)から共和党副大統領候補に指名される。
先代の親ブッシュは党内では穏健派に属し、保守派からの支持をと中西部諸州での得票が見込まれることからクエールに白羽の矢が立った。
だが、マスコミや民主党から冷笑や嘲笑を浴びせられることになる。
クエール自身の女性問題や、副大統領在任中に小学校を訪問した際、「Potato」(じゃがいも)のスペルを「Potatoe」と誤ったりしたため、資質を疑われるようになる。
また、「ラテン・アメリカ諸国ではラテン語が話されている」などの発言を連発し、これらを理由として1991年にイグノーベル賞が贈られた。
1992年の副大統領候補討論会では大方の下馬評に反して善戦したと言われるが、落選した。
2001年にジョージ・ブッシュ(子ブッシュ)が大統領に就任すると、駐日大使にその名前が挙がった。
政界引退後 2011年 政界引退後は、日本のあおぞら銀行の取締役に就いていた。
石破氏の説は正しいか
石破氏はTV番組で、国の交戦権について講釈したことを披露している。
その趣旨は
番組司会者に交戦権について質問した際に、「国の戦争をする権利でしょう」という答えに
「交戦権とは敵国兵力の殺傷・破壊、それらについての民事・刑事の免責、敵国領土の占領、そのにおける占領行政、敵国船舶の拿捕、中立国船舶の臨検など戦時国際法により交戦国に認められている諸権利の総体」
が正しいと諭した、とのことだ。
*
その時は何かおかしいと思ったが、下記書籍を読んで氷解した。
「国の交戦権」とは、国家の戦争をする権利自体を意味するとする説と、敵国兵力の殺傷・破壊、それらについての民事・刑事の免責、敵国領土の占領、そのにおける占領行政、敵国船舶の拿捕、中立国船舶の臨検など戦時国際法により交戦国に認められている諸権利の総体とする説とが対立している。
後者は「交戦権」の表現は国際法上この意味で用いられることが多いことを理由としている。
しかし、以下の諸点からみて、前者の説を妥当と解する。
- 通常の日本語の用法からみて、前説の方が自然である。
- 国際法上「戦争に訴える権利」(ius ad bellum)の観念は存在したし、国際法の歴史は、戦争との関係においては、その制限の歴史でもあった。
現代においても、国際法は、一定の条件つきで、自衛戦争・制裁戦争に訴えることを認めている。- 上にあげておいたような国際法上交戦国に認められている諸権利なしに戦争することは不可能であるから、それら諸権利の否認は国家の戦争をする権利自体の否認を当然に意味する。
「憲法」杉原泰雄
政府解釈は一方的なもので学説としてはあい半ばということ。
この石破氏の説には安倍君も同じ趣旨の考えのようだ。
衆議院議員逢坂誠二君提出わが国が交戦権を行使できるのか否かに関する質問に対する答弁書
やはり同じ穴のムジナということか。
勝手に、とも言ってられないかな。
東京オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会が、
(A) 標準時を早めるサマータイムを導入するよう、政府に求めた。
組織委は、
(B)低炭素社会づくりに向けた五輪のレガシー(遺産)にするという。
*
(A)がどうして(B)に結びつくのかこの文章では不明だ。
サマータイムという話が出てきたのは、
「たとえばマラソンの開始時間が午前7時である。サマータイム導入で実質午前5時になって涼しいうちに競技を終える」
というのがもともとの案らしい。
これでも、低炭素社会云々はあまり関係ないと思われる。
最初の文章を最後まで読むと、
「日本で約10年前に導入が検討された時は、家庭用の照明需要などが減るとの試算もあった」
とある。
*
ああ、嘆かわしい話だ。
しかしもっとも大きな障壁は、放送時間が変わる米国テレビ業界の説得だ。
構図が凄い
立て看文化を愛する市民の会 (@tatekan_bunka) | Twitter より
なんだか職員が時計台を撤去してるみたい。
解読
たとえば、科学は人間の身体や心の動きを図や画像、数式によって捉えようとするが、それは生物の一側面に過ぎない。
生物は本来、仲間や他の生物の動きを様々な感覚を用いて直観的に予測し反応している。
そこに情報には還元できない認識力や生物どうしの関係が存在する。中沢新一は、言葉や自然科学など、事物を分類して整理する「ロゴスの論理」に対し、事物を独立したものとして取り出さず、
関係の網の目の中の作用として認識する「レンマの論理」が、人間に新しい世界観をもたらすかもしれないと述べている。レンマの思想は、大正から昭和初期に発展した「西田哲学」や、今西錦司の自然学にも反映されている。
現代の科学は時間を空間的に理解しようとするが、生物はその二つ(時間を空間)を同時に直観的に認識する。
それが生命の流れを感じることだと西田幾多郎は言う。
今西はこの世界の構造も機能も一つのものから分化したものであるから、生物は互いに理解しあい共存する能力を持っていると言う。
その生命の認識や相互作用、生物どうしが織りなす全体像を、現代の科学技術はつかむことができない。
京大学長の「科学季評」
*
「時間」・「空間」というのは、大学時代の中の「学習」・「学生生活」の事じゃない
言葉の誤用を避けて
「保守」
あの時の政治を理想として。
*対*
「革新」
これからもわれわれの行いは必ず進化する。