勝手に、とも言ってられないかな。
東京オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会が、
(A) 標準時を早めるサマータイムを導入するよう、政府に求めた。
組織委は、
(B)低炭素社会づくりに向けた五輪のレガシー(遺産)にするという。
*
(A)がどうして(B)に結びつくのかこの文章では不明だ。
サマータイムという話が出てきたのは、
「たとえばマラソンの開始時間が午前7時である。サマータイム導入で実質午前5時になって涼しいうちに競技を終える」
というのがもともとの案らしい。
これでも、低炭素社会云々はあまり関係ないと思われる。
最初の文章を最後まで読むと、
「日本で約10年前に導入が検討された時は、家庭用の照明需要などが減るとの試算もあった」
とある。
*
ああ、嘆かわしい話だ。
しかしもっとも大きな障壁は、放送時間が変わる米国テレビ業界の説得だ。
構図が凄い
立て看文化を愛する市民の会 (@tatekan_bunka) | Twitter より
なんだか職員が時計台を撤去してるみたい。
解読
たとえば、科学は人間の身体や心の動きを図や画像、数式によって捉えようとするが、それは生物の一側面に過ぎない。
生物は本来、仲間や他の生物の動きを様々な感覚を用いて直観的に予測し反応している。
そこに情報には還元できない認識力や生物どうしの関係が存在する。中沢新一は、言葉や自然科学など、事物を分類して整理する「ロゴスの論理」に対し、事物を独立したものとして取り出さず、
関係の網の目の中の作用として認識する「レンマの論理」が、人間に新しい世界観をもたらすかもしれないと述べている。レンマの思想は、大正から昭和初期に発展した「西田哲学」や、今西錦司の自然学にも反映されている。
現代の科学は時間を空間的に理解しようとするが、生物はその二つ(時間を空間)を同時に直観的に認識する。
それが生命の流れを感じることだと西田幾多郎は言う。
今西はこの世界の構造も機能も一つのものから分化したものであるから、生物は互いに理解しあい共存する能力を持っていると言う。
その生命の認識や相互作用、生物どうしが織りなす全体像を、現代の科学技術はつかむことができない。
京大学長の「科学季評」
*
「時間」・「空間」というのは、大学時代の中の「学習」・「学生生活」の事じゃない
言葉の誤用を避けて
「保守」
あの時の政治を理想として。
*対*
「革新」
これからもわれわれの行いは必ず進化する。
京大タテカン規定改定
知性の府で。