哲学と文学を持たない世代
「今回のエリート組の瓦解の遠因に、この世代特有の弱さの存在を感じます。
60年代の政治の季節に遅れ、
70年代には学校のサヨク的な先生の授業に白けつつ、
80年代に入るとポストモダン的自由を謳歌(おうか)し、時代の先端を走っているつもりでした」
話題のエリート群像 | |||||||
おもな地位 | 生年 | 高校入学 | 高校 | 高校卒 | 出身大学 | 学部 | |
安倍 晋三 | 国会議員 | 1954 | 1969 | 附属高校 | 1972 | 成蹊大学 | 法学部 |
佐川 宣寿 | 財務省国税庁長官 | 1957 | 1972 | 九段高校 | 1975 | 東京大学 | 経済 |
福田 淳一 | 財務省事務次官 | 1960 | 1975 | 湘南高校 | 1978 | 東京大学 | 法学部 |
柳瀬 唯夫 | 通産省経産省 | 1962 | 1977 | 武蔵高校 | 1980 | 東京大学 | 法学部 |
京都人 評価がおもろいなあ
他の都道府県から人が来ることを上京という。例え東京からでも。
東京からですら「田舎からよお来た」と言われる。
と言うよりも東京はニュータウン扱い。ニュータウンなら田舎という図式は、人口密度やビルの高さは全国共通であまり意識しないと思うけど。戦前はガチ田舎だし。
東京のことを東京地方といえる。
自分の現在地から遠いところを地方というのだから何も間違っていないと思うんだが。
京都に来ることを「上京」どころか、「上洛」と呼ばせる。
これ違うんちゃう。「上京」が東京へ行くことの意味にしか使えないから、「上洛」になったんでしょ。
入洛も言う。「ブッシュ大統領入洛」という風に使う。
京都に来るのは普通「上洛」。「上京」は東京に行くこと。「上洛」の方が由緒正しい言葉なので「上京」は京都に対しては使わない。東京と京都を往復すると上り続ける人もいるが「東下り」(あづまくだり)しはる人もいる。
少しズレるが、阪急・京阪でも大阪から京都に向かう電車が「のぼり」
これは東京に向かう電車が上り電車のため、京都に向かう電車だから上りなのではない
それはおかしい。だって京津線は浜大津方面行きが「上り」だ。あくまでも東京基準なんだろう。
と、ここまで東京へ下ることを「上京する」と言うと思ってらっしゃる非京都人の皆様方のコメントが多数だが、本当は東京へ行くのを「東上する」と言うという事実は書かれていない。
京都人なら東京へ行くのを「東下り」という。
東京で京都弁をしゃべり、「関西弁だ」という声が聞こえると、「京都弁知らはらへんのやな」とにんまりする。
流石に京都人と言えども関西弁と言われて怒ることはない。大阪弁やったらホンマに怒る。
関西人じゃなくとも京都弁と関西弁の違いは子供でもわかる。話すスピード、語尾、イントネーションが全く違う。
そんな僻遠の地の土語知らなくて当然。
田舎者に限ってこういう返ししかできない。
田舎者は果たしてどっちでしょうね。
元中心地の言葉を僻遠の地の土語と言ってしまう人かな。
「大阪人といっしょにせんといてほしいわぁ」と思っている。
神戸人なら許せる。神戸人も大阪人と一緒にされることを、蛇蝎のごとくきらう。
「そこまで酷くはない」by兵庫県民
いやでもやっぱりいい気はしないよ by同じく兵庫県民
「大阪は『上方(かみがた)』とも言う」と京都人に向かって言う大阪人を陰で笑っている。(大阪から見れば「上方」は京都になる)
「上方」の「上」は天皇を指し、天皇の在所を意味する。本来の定義で言えば関東こそ「上方」だろう。であるがゆえ、大阪より東京に近い京都は大阪よりは「上方」ともいえるであろうから、この発言は当を得ていると思われるが?
と言うか本来は「上方」とは京都付近を指す言葉。寺社仏閣にあった演芸場で落語などがされたのが上方演芸の始まりで、むしろ大阪が笑いの中心となったのは二次大戦後。
江戸時代は「上方」の商品が上等といわれた。当時、上方から江戸に送られてくるものを「下りもの」と言い、粗悪品を「下らん」と言った。これが現在の「下らん」「下らない」の語源。
京都市以外、100歩譲って山城以外は京都府とは思われていない。
久御山町は、ジャスコ久御山があるので京都府に入れて欲しい(太陽ヶ丘も)
そのため「京田辺市」「京丹後市」「京丹波町」と京都にあることを必死でアピールしている自治体がある。
しかし、それをいいことに京丹後市や京丹波町は京都を必死にアピールしている。
京都府とは思ってるんじゃない?京都と思っていないだけで。
What?京都ト京都府ノ違イッテナンデスカ?
京都→京都市 京都府→天橋立から国立国会図書館ぐらいまでの広い範囲。つまり京都∈京都府。
No!No! 京都=今出川~八条&千本~寺町デース。チョット広メテモ東山界隈位ナモンデース。
京都市内であっても、中京・上京区以外は「京都じゃない」と言うばあさんがいる。
下京、東山のそれぞれ一部は、京都に入れてもよいか。
右京区の西半分が右京区から分離した時、東にある「東山区」に対応して「西山区」とするのが良いというのが市民の意見の大勢であった。しかし、「京」の字が入らないと亀岡市だと間違われるのでどうしても「京」の字を入れてほしいと住民が懇願した結果、「西京区」なんていう訳の分からん名前になった。
自分の県の中で優劣をつけるとは・・・。あんたら最低だな。
京都は大学が多く、人口の一割を大学生が占める「学生の街」であるが、その実態は「京大とその他大勢」である。ハーバードやケンブリッジでさえ格下と見下す。
末期だな。
ケンブリッジ卒の英国人(爺さん)に言うと、本人達がそー考えるならそーだろって言ってた。
最近多くの大学がキャンパスを郊外に移して内心ハラハラしている。
だが、移転しても学生は市内からあまり離れようとしない。郊外があまりにも田舎なことも関係しているが・・・。
同志社大学は郊外移転で実害をこうむった。1,2回生の田辺隔離で大学ランクを落し、今頃になって文系学部の今出川に戻すも、その間に早慶ははるか向こう、MARCH、立命に背後から突かれてる状態。
もともと同志社はそんな上ではない。六大学に明治が入ってるくらい意味不明。身分をわきまえろ。
京都人はよそ者に冷たいが、学生と坊さんは別なのです。
都市計画局広告景観づくり推進室 御中
マルクス生誕150年内田先生の返信
Q なぜ資本主義社会の日本にはマルクス主義を愛読する人がこんなに多く存在しているのか、
その原因は何だと思われますか。
A 人はマルクスを読んだからといってマルクス主義者になるわけではありません。
マルクスを読んだあと天皇主義者になった者も、敬虔な仏教徒になった者も、計算高いビジネスマンになった者もいます。 それでも、青春の一時期においてマルクスを読んだことは彼らにある種の人間的深みを与えました。
政治的な読み方に限定したら、スターリン主義がもたらした災厄や国際共産主義運動の消滅という歴史的事実から、
「それらの運動の理論的根拠であったのだから、もはやマルクスは読むに値しない」
という推論を行う人がいるかも知れません。
けれども、日本ではそういう批判を受け容れてマルクスを読むことを止めたという人はほとんどおりませんでした。
「マルクスの非政治的な読み」が許されてきたこと、
それが世界でも例外的に、日本では今もマルクスが読まれ続け、 マルクス研究書が書かれ続けていることの理由の一つだろうと思います。
僕たちはマルクスを読んで、広々とした歴史的展望の中で、深い人間性理解に基づいて、複雑な事象を解明することのできる知性が存在するということを知ります。