僕は政治組織というのは、その政党が政権を取ったあとの未来社会を先駆的・萌芽的に表現するものだと考えています。
現在その政治組織が一人の独裁的指導者によってトップダウン的に組織されているなら、
その政治組織が実現する未来社会は「一人の独裁的指導者によってトップダウン的に組織される社会」になる。
その政治組織が理想社会を実現するためには陰謀や暴力を用いてもよいという立場なら、
それが実現する未来社会は「理想的な国家を実現するためには、政府が市民に対して陰謀や暴力を用いることが許される社会」になる。
これは経験的にそう信じています。
これまでさまざまな革命闘争がなされ、いくつかは成功しました。
その結果できた政府は、革命を主導した党派の組織原理をそのまま引き継いだ。
革命闘争を成功に導いた党派の組織原理なんですから、変える必要なんかない。
それが最も効率的であることは、革命闘争に勝利したという現実が証明している。
そうやって世界の各地で、革命闘争勝利の後に、市民への苛烈な弾圧を「非とする」ロジックを持たない強権的な政府ができました。
そのことは、ソ連や中国を見ればわかります。
僕がかつて左翼の学生運動にかかわった時に、「これはダメだ」と思って離れたのは、
どの党派を見ても、その今の学生組織が未来社会の萌芽形態であるのだとしたら、
「こんな社会には住みたくない」と思ったからです。
共産党についても同じことを思います。
「党規約に基づいて、適法的に異議申し立てをなさない党員は除名する」という原則主義的な態度は、
その政党がめざす未来社会は「政府への異議申し立てを、法律に基づいて適法的に行わず、
それ以外の手段で行った国民は国籍を剥奪されることを是とする社会」になる。
残念ながら、「これを非とする」というロジックは今回の共産党の決定からは出てきません。
論理的に無理筋なんです。
僕の立場は「これを非とする」ものです。
というのは、「それ以外の手段」にはデモや、ストライキや、地下出版、レジスタンスなどが含まれているからです。
「それらの政府批判が適法的になされていない場合、実行した人間は処罰されて当然である」ということを是とするなら、
これまでの日本共産党の活動の相当部分は(例えば治安維持法下の活動)は「法律違反だから処罰されて当然」ということになります。
内田 樹氏ブログより
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(なんだかこのところ感心ばかりしている。その引用ばかり。それでは寂しいのでちょっと工夫=縦書きにしました。「そりゃ無能だ」という声が聞こえそう)