両論併記=へっぴり腰

両論併記

本日の朝日新聞一面トップの見出しは以下

停戦協議、始まる
主張に隔たり、見通し不明 ロシア・ウクライナ代表団

一方社説では

「政府にいま求められるのは、プーチン氏の暴挙にはっきりと異を唱えて国際的な圧力を強めるとともに、核軍縮や不拡散の取り組みが減速しないよう世界に働きかけることだ。」

プーチンの暴挙を真向に批判している。新聞社の姿勢とすればロシアに非があるということだ。

ならばなぜこのような中立的見出しになるのか。

見出しはせめてこうだろう。

ウクライナ停戦協議、始まる
ウクライナ無条件でと主張、ロシア拒否 見通し不明

政治学遠藤乾先生の主張

同じ日の紙面に北大遠藤乾教授の主張が掲載されている。

2022年2月24日。プーチンの戦争が始まった。これほどの赤裸々な侵略は、ヨーロッパでは3世代前、ヒトラーポーランドに侵攻したときにまでさかのぼらないと見いだせない。誰よりもプーチン本人に責めが帰されるべき戦争ではある

プーチンは、その主観に反して、ロシアの利益も害している。ウクライナを軍事的に無力化できたとして、親ロ政権はおろか中立を維持できるか不透明だ。
占領や介入には膨大なコストがかかる。
ウクライナはもちろん周辺諸国でも、後戻りできないほど反ロ感情が高ぶる。
制裁によるロシア経済へのダメージも徐々に効いてこよう。
ウクライナが天使のようなわけではない。しかし、それがジェノサイドと大量破壊兵器の開発に手を染めるナチスのようで、人道的介入と非軍事化が必要だとするプーチンの語りは、とうてい客観的検証に堪えられない。

ウクライナ北大西洋条約機構NATO)加盟阻止という「大義」も、根拠が薄弱だ。加盟国の多くはウクライナ防衛の義務を負うことに後ろ向きで、当面加盟は実現しない。
存在しない見込みを理由に他国に軍隊を入れるのは、理にかなわない。
そもそものNATOの東方拡大は、クリントン大統領の再選に向けてシカゴ近辺の東欧系移民の票を目当てに打ち出された面もあり、高貴なものだったわけではないが、今回のような狼藉を働く相手には正しい選択だったと多くに確信させるものとなった。

 さらにいびつなのは、プーチンウクライナ観、全体主義的な傾きである。かの国がロシアと一体だという歴史認識は、巷の素人談義ならまだしも、権力者が振りかざすと有害極まりない。

ウクライナにある言語や歴史、独自の国民性を無視し、ロシアの一部としてしか生きられない混成物だという身勝手な見解を銃剣で押しつけるとき、それは他者の存在を丸ごと否定する全体主義に近づく。

2大戦の間に青年期を生きたリベラリストの仏思想家レイモン・アロンは、興隆するナチス・ドイツへの対抗の必要を留学先のドイツで感じとり、平和主義から脱皮するが、その際、力の行使が不可避であるならば、何のために行使するのか目的を問うことを重視した。

力へのシニカルな信奉がはびこるナチスと異なり、多様な解釈や生き方を許す自由な社会においては、それを守るために力が行使されるという目的限定性が大切なのである。自由や民主は、人びとが時に間違えるという可謬(かびゅう)性を前提にしている。だから、多様な意見が尊重され、政権が交代できるようにするのだ。独裁は、間違いをみずから是正しえない。自由・民主を重んずる体制は、独裁のそれと近似してはならない。

どこかで主張されていたが新聞社自体が紙面で論を主張せず、識者を通して論を主張させる、批判を怖れる姑息な手法だ。

しかし遠藤先生のこの記事は一読者の離反を防いだのかもしれない。

 

「イヴァンよお前にやる花はない」プラハの花屋

REMEMBER3.11