権力の判断が「社会通念」だ

破局的噴火のリスクはその発生可能性の立証がない限り現在の社会通念上容認すべきものである」広島高裁取消決定


判決や決定で「社会通念」を判断の基準として用いるのは、
わいせつ(判断)の ように、「普通の人の意識」を問題にする必然性のある特殊な場合に限るべきだ。
今回の争点は巨大噴火が原発に及ぼす危険性である。
時代や社会が変われば人の意識は変わるが、
破局的噴火のリスクは時代や社会が変わって増減するものではない。)

原発は危険性の有無という客観的な事柄が問題なのであり、
社会通念を判断基準にするのはきわめて不適切である。
権力を公正にチェックすべき裁判所が、
こんなあいまいな概念を持ち出したら、
権力側の考え方を「社会通念」と形容して、難しい判断から逃げることになりかねない。

瀬木比呂志 明治大法科大学院教授:著書に『絶望の裁判所』