素早いリターン

ツイッターLINEは偽名可能 facebookは原則生活名 インスタグラムはどちらでも可能なんてところか。
それで、交わされるSNSのなかで圧倒的に誹謗罵詈雑言の多いのはツイッターだろう。
「日本は黙ってミサイルでもくらえ(食らえ)と言うあなたのお言葉、然と(漢字なら「鹿と」が正しい*http://zokugo-dict.com/12si/sikato.htm受け取りました。 そうですよね、例えかの大陸からミサイルを撃ち込まれたとしても、 半島の犬とかし(化し)平気で地に頭を擦り付けるあなただけには連絡が行き助かる道が用意されているのでしょう。 新年早々、ご苦労様です。」

「お前よりまし」
以上本日のある同一ツイッターより
紫文私)

なぜ誹謗されるのか。そこにはディベートの成り立つ余地はない。
そんな中、相田和弘監督(この方はツイッターでも生活名で登録している)

「議論というのは本来、AさんとBさんが異なる意見をぶつけ合ううちに、お互いの考えについてお互いが理解を深め、Cという新境地にたどり着くのが目的です」

なんて静かな意見を述べている。賛成
掛け合い漫才でもネタがあるのだ、素人がつぶやくツイッターはネタなしでする漫才以下なのではないか。
もともと利用目的が異なるのだ。
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ここでいう過去とは15年戦争である。ドイツに触れる場合にはナチの時代とする。
負債は「清算」することができるが、過去は必ずしも清算することができない。
戦争は人を殺す事業であり、死者は決して還らない。
過去は清算できないが、克服することはできる。—あるいは少なくとも克服しようと努力することはできる。
「過去の克服」または戦争責任の処理の条件は、過去と現在の、—詳しく言えばそれぞれの政治・社会・文化的体制の「断絶」を、あらゆる機会に全力を挙げて強調し、「持続」を、可能なかぎり抑制する、必要ならばそのために法的手段さえもとることである。
過去の克服に熱心な社会は「断絶」を強調し、不熱心な社会は「持続」に固執することになるだろう。
 戦後日本は、しばしばドイツと比較され、アジア諸国で、また欧米でも、経済的な繁栄と共に、戦争責任を明瞭にせず、過去の過ちをごまかしてきた国として有名である。そのことは日本国内では必ずしも有名ではない。
 その一つは、大衆報道機関が外国についての情報を伝えることが甚だ少ないからであり、
(日本の大新聞に全世界に関するニュースが占める紙面は、国内のスポーツ記事が占める紙面の半分にも足りない。これはほとんど情報鎖国状態である。こういう途方もない状態は少なくとも数か月続けて読んだことのある英・米・独・仏・伊の一流日刊紙には存在しない)
もう一つは、日本から経済的援助を受けている諸国の代表者が日本の政府または大企業の代表者に対して不信感を直言することは少ないはずだからである。
 対外的に戦争責任をとらぬ国は、対内的には、さまざまの機会に、過去と現在の持続性を強調する。たとえば最近保守政党の政治家がくり返す「失言」の大部分は、実に鮮やかに戦時中の日本政府の言い分と一致し、彼らの考え方や心理が、過去のそれと変わっていないことを示している。
 過ちを改めるには、どうすればよいか。まず過ちを過ちとして認めなければ改めようがないだろう。過去の事実を認めることは、第一の要件である。その事実の要点は、15年戦争を行った日本政府(および国民の一部)が他国民に加えた害悪と破壊であり、また自国民に加えた犠牲である。
 第二の要件は、その責任をとることだが、それは謝罪・補償であると同時に、現在の日本政府および社会と過去のそれとの断絶を明確にすることである。もとよりその断絶は、法的制度だけではなく、また価値観であり行動様式でなければならない。なぜなら15年戦争の日本の特徴は、単に制度にあったのではなく、大いに超国家主義の思想と心理に係っていたいたのだからである。

15年戦争の政治体制が反民主主義的であったということは、民衆の政治過程への積極的な参加がなかったということである。これを民衆の側からいえば、戦争は軍部の戦争であって、彼らの戦争ではなかったということだ。権力は国民を操作し、大きな犠牲を強要した。強要の手段は、教育であり「スローガン」(「滅私奉公」「欲しがりません勝つまでは」等)であり暴力(警察、憲兵等)であって逃れようはほとんどなかった。その受け身の国民が、戦後被害者としての経験を語り、反戦または厭戦という意味での平和主義を強調しても、加害者としての戦争責任に言及しなかったのは、当然であろう。
 殊に農村共同体は外部に対して閉鎖的であり、戦時中といえども、政府の「スローガン」の大部分は農家に浸透しなかった。若い労働力が徴兵で失われ、農産物の徴発(「供出」)が強行されたので、生活は苦しかった。ある自作農一家は息子を兵隊にとられ、赤子を背負った息子の嫁と、夫婦で、畑を耕していた。早く息子に帰ってもらわなくてはどうにもならない、と彼はいい、それ以外の何もいわなかった。その時彼と話しながら私(加藤)は「聖戦」や「鬼畜米英」や「大東亜共栄圏」のような「その頃都で流行るもの」が彼の心には何らの影響も与えていないということを、あきらかに感じた。その感じはほとんど爽やかというのに近かったろう。そこには、種まきや雑草の種類や収穫のように彼自身がくわしく正確に知っていることと、ラジオや新聞が繰返してはいるが彼自身が知らぬこととを、鋭く区別して生きる一人の人物がいたのである。おそらくそういう人物は、戦時中の農村で、彼一人ではなかったろう。
東京では事情はちがっていた。隣近所には「隣組」や「防空演習」に熱心な男女もいた。しかしそれは完成の儀式にすぎず、防空にも、消火にも、全く役に立たぬことははじめからわかり切っていた。
彼らはなぜ熱心だったのだろうか。一部には積極的な便乗主義者もいたにちがいない。しかし大部分の人々は受け身の大勢順応主義者であったのだろう。彼らは「竹槍」とか「神州不滅」とかいう言葉も口にしていた。しかし東京の空を飛ぶ米国の爆撃機の銀色の翼を見上げながら、そういう言葉をそのまま信じていたわけではあるまい。そう言うことになっていたから、そう言っていたのにすぎない。敗戦後、別の言葉—「平和」とか「文化」とか「民主主義」という言葉が流行すれば、またそういう言葉を喋るのである。
かれらは私が知っていた農家の主人とはちがう。
 少なくとも太平洋戦争の後半には、都会の中間層のなかに、多かれ少なかれ戦争に批判的または懐疑的でありながら、決して「聖戦完遂」を唱える政府を批判しない人々の「広大な灰色地帯」が拡がっていた。
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 日本の戦争を計画し、実行した権力は、戦後何をしたか。連合国は「東京裁判」を行って「戦犯」の一部を処刑した。占領政策上の考慮から天皇は逮捕せず、軍事的な取引から「七三一部隊」の責任者は追及せず、反共日本の再建の必要から多くの責任者の公職追放は解除した。しかし日本側みずから行った戦犯裁判は、ただの一回もない。この状況は、「ニュールンベルグ裁判」の後、みずからナチの犯罪を追及するのに「時効」を廃止したドイツの場合とちがう。また対独協力者を追及したフランスの場合ともちがい、ファイシストと戦う「パルティザン」部隊が国内からまき起こったイタリアの場合ともちがうだろう。そのちがい、その対照、その「国体」の特殊性は、日本では過去の反民主主義的体制と戦った人物が戦後の政治に中心的役割を演じたのではない、ということと分かち難い。過去の体制に協力した人物こそが戦後の指導者となったのである。吉田茂は戦時中の協力者ではなかった。石橋湛山片山哲も同じ。しかし彼らは例外であり、例外は原則を証するにすぎない。日本国は戦後権力の例から、明瞭な戦争責任の追及と、そのことを通じての「過去の克服」への努力が行われるはずがなかった。
 かくして国民(の大多数)も、権力も、加害者としての日本の過去を水に流した。水に流さなかったのは、被害者、主としてアジアの諸国民だけである。そのことから多くの問題が生じたし、今でも生じている。


石川健治教授新春講演
戦後70年われわれ市民が希求したカントにも通じる絶対平和主義・非武装平和主義は西欧の精神の太い幹に連なって行こうとしたのだ。
カントは「定言命法」「仮言命法」ということをいった。
定言命法とは、自分の行為の原則が常に誰もが従わなければならない原則に合うように行為しなさい、ということであり、
一方仮言命法は「もし……ならば、〜しなさい(すべし)」ということであり、仮言命法による行為は真の道徳的行為とはなりえない。
 現在の自衛隊=軍事的権力は憲法の規定に基づかないという意味で、「定言命法」により運営されている。これが、現憲法に加憲された自衛隊となった場合は「仮言命法」の軍事的権力となる。
しかし「憲法9条に三項を加える」もしくは「その二」とする、いずれの方法であっても、結果的に立憲主義を破壊することひいては国家を破滅させることになる。
旧日本国は、敗戦後に現憲法によって君主主義から象徴天皇制へ、植民地主義から植民地切り離しへ、軍国主義から軍事的権力廃止へ、と立憲主義に変わった。
 現政権の憲法改正議論はこの点を踏まえていないこと、それが大いに危険をはらむ。 現在憲法改正を強く訴える人の中に、かっての君主主義や植民地主義軍国主義に報じようとする人々が多くいる。
 安全保障というものは多様な問題により構成されているので、それを単純に軍事面からのみ判断することは、たらいの水と同時に赤子(立憲主義)まで流す事となる。
 いま議論されていることの本質は、今までいわば憲法に明記されていないことによる圧倒的なコントロールがあった。そしていままで自衛隊は「つつましやかであること」を要求された軍事的権力であったが。
 しかしいまの憲法改正「加憲」議論は、軍事権力が政府=市民的権力からはなれ、かつコントロールされなくなるということである。

瞬時に返すリターンは往々にして論理的整合性がなく説得力のないものが多い。
しかし上記2本のようなじっくりした論の進め方になぜか、ははるかに強い力がある。