にじみ出る危機感からの「拝察」

そしてそもそも、天皇東京五輪に対して局外者ではない。
天皇東京五輪の名誉総裁であり、
慣例に従えば、開会式で開会を宣言する立場にある。
つまり、このまま何の意思表示もしなければ、
天皇はこの呪われた大会の加担者に自動的になってしまう。
そして、言うまでもなく、五輪は政治的なイベントだ。
とりわけこの東京五輪は、安倍・菅政権による国威発揚
権力維持の目論見に利用され、政治的に私物化されてきた。
そんな行事に加担することと、感染拡大への懸念を表明することと、
どちらが「政治的」なのか。

憲法違反」との指摘がクリシェ(常套句)でしかないことへの無自覚は、
2016年の「おことば」の意味するところを読み取ろうとする際の
思考の怠惰がいまも引き続いていることから生じたものだ。
先の天皇にせよ、今上天皇にせよ、
自らの言動が「憲法違反」の批判を招きかねないことなど、百も承知しているであろう。
そして、このお二人は、折に触れて戦後憲法への心からのコミットメントを表明してきたのであり、
その点で、安倍に代表される自称保守派と対極にある。
あえて「憲法違反」と批判されるリスクを冒して発言したのである。
その意味は、いままでほとんど論じられてさえいない。

政治学者・白井聡週刊朝日