総理との会食でおなじみの曽我豪氏に捧ぐ

多事奏論 高橋純3月11日、わが子に初めて言われた。
「あの日のことだけは、感謝してる」
9年前のあの日。
東京・銀座の喫茶店を同僚と出た直後、強い揺れにおそわれ、早足で会社にとって返した。
同僚は正面玄関をくぐり、私は立ち止まった。
仕事に戻っていいのか? 
子どもは当時小学校低学年。
災害時には保護者が必ず迎えにくるよう言われていた。
その時、そばにタクシーが止まり、人が降りた。
よし、乗ろう。
全校生徒が校庭に集められていた。
いち早く自分の迎えが来たことに、子どもは驚いたような、ホッとしたような表情を見せた。

休校要請を知った時、2人の子を持つ同僚は足の力が抜け、下の子と手をつないだまま、その場にストンとへたり込んでしまったという。 仕事と育児の両立が難しいのはもとより、いい担任の先生と出会って、子どもの確かな成長を感じて喜んでいたのに、こんな形で断たれてしまうのか、と。
私は不思議で仕方がない。
これほど重大な判断を、首相はどうして会議の席で、紙を読み上げるような格好で、さらりと言ってのけることができたのだろうか。
すぐに会見を開いて、そう判断するに至った理由を説明し、言葉を尽くして理解と協力を求めたり、疑問に答えたりしようとは考えなかったのだろうか……と、
とりあえず疑問形でつづってみたが、実はすっかり腑(ふ)に落ちている。
2014年、集団的自衛権の行使容認を表明する首相会見で示された、赤ちゃんを抱く母親に寄り添う子どものイラストを見た時、私は思った。
薄っぺらな母子のイメージをこれほど雑に利用してのけるのは、女を、子を、そして子育てを、本当のところはナメているのだろうと。
「断腸の思いだ」。
休校要請の翌々日にようやく開いた会見で首相は釈明したが、そんな2日前の日記を読み上げられたところでいったい何になるというのだ。
あの日、多くの親たちが不安と困惑の渦に放り込まれた。
経済的、社会的に厳しい立場にある人は、より激しい渦へと。
それを「あとは自助努力でよろしく」とばかりに放置した首相は、
一国のリーダーとしての資質を欠いていると言わざるを得ない。

首相はこの間、国民とのコミュニケーションに明らかに失敗している。
下を向いて原稿を読むか、脇のプロンプターを見るか、この期に及んで国民と真正面から向き合っていない。
国難突破解散」だなんてかつては威勢よく危機を「演出」していたのに、本当の国難にあってこの極度の引っ込み思案ぶりたるやどうだ。
敵と味方を分かち、異論に耳を傾けず、「身内」を重用し、説明も説得も省いて「数の力」で押し切る、 そんな「一強」の構成要素はいま皮肉にも「弱」の要素に反転している。
「ワンチーム」なる言葉をあれほど空疎に響かせられるリーダーもそういないだろう。
鼻と口はマスクで覆いつつ、目を見開いてよくよく注視していこう。 危機に際してこの国の為政者がどう振る舞ったか、しっかり記憶に刻んでおくのだ。  (編集委員

会食後の記事はまだですか?

みんなどんどん先に行ってるよ。

「fukushima50」の真実

事故調の報告
  • ベントが菅直人のために遅れた
    A 住民の避難を待っていた、また手動でのベントは東電が成功と言った時間には実はできていなかった
  • 海水注入を官邸が止めた
    A 東電の武黒がやめさせようとした
  • 米軍はトモダチ作戦を実施
    Aトモダチと言いつつ、後日巨額の請求。海兵隊員は被ばく、40人以上死亡 400人以上が東電と日本政府を告訴
  • 協力企業の社員に吉田所長が帰ってもらう
    A 協力企業は事故時契約がないため柏崎刈羽に全員引き上げ
  • 地震だけなら全電源喪失をカバーできた
    A 地震で外部電源喪失
  • 想定外の津波と2回も
    A 吉田所長は15.7mの津波の警告を握りつぶした張本人
  • 作業員に帰宅を促す
    A 700人に近くで待機の命令を出したが650人が第二へ命令違反で撤退し、結果50人しか残らなかった

時に映画には多くの間違いが描かれる。

心して観賞しよう。

ちなみにfukushima50原作者は

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父親たちの星条旗」の作者はこう語る祖国のために戦った若者たちは 戦友たちのために死んだ。
これが表のメッセージである。
しかし、 言葉になっていないもうひとつのメッセージを探すとすれば、
次のようなものであるかもしれない。
戦争を美しく語るものを信用するな、
彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから

https://twitter.com/yuiyuiyui1114 に触発されて

権力を弄んだものの必然の行方

「国民の課題ははっきりしている。
安倍を退陣させるだけでは不十分であり、しかるべき場所(牢獄)へと送り込まなければならない。
そしてこの間この腐りきった権力を支えてきた政官法財学メディアの面々をリストアップし、処断せねばならない。
75年前の失敗の根源は、国を破滅させた者どもを日本人が自らの手で罰しなかったことにある。
その中に、あの「僕のおじいちゃん」(岸信介)もいた。
そのツケをいまわれわれの手で清算しなければならないのである」


安倍には会食でなく牢獄を!

(ある人の論ですが私の気持ちと同じなので引用でなく、主張とします)

会食に出なくても

 「信じていただけないなら、そもそも予算委の質疑が成立しない」
前夜祭の会場だったホテル側に書面で回答を求めるよう迫られた首相がこう答弁するのを聞き、
木皿泉さん脚本のテレビドラマ「野ブタ。をプロデュース」のあるシーンを思い出した。
酔っぱらいを殴ったと誤解され、警官に「信じてください」と言っても「みんなそう言うのよ」
と取り合ってもらえない主人公に、コワモテの町内会長が説く。
「世の中っちゅうもんはな、ホンマかどうかなんてどうでもええんや。
信じてもらえる男か、信じてもらえへん男か、そのどっちかや」
それよりもなあ兄ちゃん――。説諭は続く。
どん底に落ちても人生終わりとちゃうど。落ちても人生続くど。人生はなかなか終わってくれんど」
そうなのだ。
「盛者必衰の理(ことわり)」は理解しているつもりでも、必衰した後も人生は続くことを、私たちは忘れがちだ。
信じてもらえない人間として咲き続けるのか。
信じてもらえる人間として散るのか。
首相、人生の見積書へのサインを、どうぞ。
高橋純編集委員

曽我氏、総理との会食にでなくても、このように結構取材を生かした記事は書けるんだね。
あなたも記事に気骨を入れるようにぜひ参考にしよう!

からめ手

改正国家公務員法の国会審議では、人事院の斧誠之助任用局長が
「検察官と大学教官につきましては、現在既に定年が定められております。
今回の法案(国家公務員法改正案)では、別に法律で定められておる者を除き、こういうことになっておりますので、
今回の定年制は(検察官と大学教官には)適用されないことになっております」と答弁している(81年4月28日の衆院内閣委員会)

複数の弁護士によれば、東京拘置所での死刑執行や、東京高裁の控訴審判決後に保釈中の被告が逃亡した事件に関する情報公開(行政文書開示)は、東京高検検事長に請求する。
適法な検事長ではない黒川氏には請求できないとして、国家賠償訴訟などを起こせば、黒川氏の勤務延長が適法か違法か、裁判所の司法判断を求めることができるのではないかという。
竹田昌弘 共同通信編集委員憲法・司法・事件)