https://twitter.com/knakano1970/status/1250939727676452865

ニュースを見ていると、
与党の提言でひとり10万円給付になったかのようですが、
記憶では、国民民主の玉木さんがいち早く主張していた。
先日閣議決定された30万円給付案が、
対象があまりに狭い上、
不公平なことに国民の批判の世論が沸騰したことに与党が動揺して、
急転直下、10万円給付となった。

公明党がどうのこうのとはやし立てているが、)
報道機関の皆さん、簡単に調べがつくのですから、
この程度のことは正確にお願いします。

歴史に学び今思考することは

ペストの猛威、三十年戦争リスボンの大震災、
ナポレオン戦争アイルランドのジャガイモ飢饉、
コレラやペストや結核の蔓延、第一次世界大戦
スペイン風邪ウクライナ飢饉、第二次世界大戦チェルノブイリ原発事故、東京電力原発事故。
世界史は生命の危機であふれている。
いずれにしても甚大な危機が到来したとき、現実の進行はいつも希望を冷酷に打ち砕いてきた。
とりわけ大本宮発表にならされてきた日本では、為政者たちか配信する安易な希望論や道徳論や精神論(撤退ではなく転進と表現するようなごまかしなど)が、人を酔わせて判断能力を鈍らせる安酒にすぎないことは、歴史的には常識である。
その程度の希望なら抱かない方が安全とさえ言える。

想像力と言葉しか迺具を持たない文系研究者は、新型コロナウイルスのワクチンも製造できないし、治療薬も開発できない。
そんな職種の人間にできることは限られている。
しかし小さくはない。
たとえば、歴史研究者は、発見した史料を自分や出版社や国家にとって都合のよい解釈や大きな希望の物語に落とし込む心的傾向を捨てる能力を持っている。
そうして、虚心坦懐に史料を読む技術を徹底的に叩き込まれてきた。
その訓練は、過去に起こった類似の現象を参考にして、人間がすがりたくなる希望を冷徹に選別することを可能にするだろう。
科学万能主義とも道徳主義とも無縁だ。
幸いにも私は環境史という人間と自然(とくに微生物)の関連を歴史的に考える分野にも足を突っ込んでいる。
こうした作業で、現在の状況を生きる方針を探る、せめて手がかりくらいを得られたらと願う。

人びとは、危機が迫ると最後の希望をリーダーとリーダーの「鶴の一声」にすがろうとする。
自分の思考を放棄して、知事なり、首相なり、リーダーに委任しようとする。
たしかに、もしも私たちが所属する組織のリーダーが、とくに国家のリーダーがこれまで構成員に情報を隠すことなく提示してきたならば、
そのデータに基づいて構成員自身が行動を選ぶこともできよう。
異論に対して寛容なりーダーであれば、より創造的な解決策を提案することもできるだろう。
データを改竄したり部下に改竄を指示したりせず、きちんと後世に残す文書を尊重し、歴史を重視する組織であれば、ひよっとして死ななくてもよかったはずの命を救えるかもしれない。
自分の過ちを部下に押し付けて逃げ去るようなそんなリーダーが中枢にいない国であれば、ウイルスとの戦いの最前線に立っている人たち、たとえば看護師や介護士や保育士や接客業の不安を最大限除去することもできよう。

危機の状況にも臨機応変に記者の質問に対応し、少致意見を弾圧しないリーダーを私たちが選んでいれば、納得し て人びとは行動を起こせる。
「人類の叡智」を磨くために、「有事」に全く役に立たない貿い物をアメリカから強制されるのではなく、研究教育予算に税金を費やすことを使命と考えてき た政府であれば、
パンデミックに対して少なくともマイナスにはならない科学的政策を提言できるだろう。
ところが、残念なから日本政府は、あるいはそれに類する海外の政府は、これまでの私たちが 述べてきた無数の批判に耳を閉ざしたまま、
上記の条件を満たす努力をすべて怠ってきた。

そんな政府に希望を抱くことで救われる可能性(『週刊文春』の3月26日号に掲載された 「最後は下部のしっぽを切られる」「なんて世の中だ」という自死寸前の赤木俊夫さんの震える手で書かれた文字群)は、
現在の国会での政府中枢の驚くべき緩慢な言葉によって、粉々に打ち砕かれている。
この政権がまだ45.5パーセントの支持率を得ているという驚異的な事実自体がさらに事態を悪くしている(共同通信社世論調査。2020年3月28日配信)
その上、「緊急事態宣言」を出し、基本的人権を制限する権能を、よりにもよって国会はこの内閣に与えてしまった。
為政者が、国民の生命の保護という目的を超えて、自分の都合のよいようにこの手の宣言を利用した事例は世界史にあふれている。
どれほどの愚鈍さを身につけれ ば、この政府のもとで危機を迎えた事実を、楽観的に受け止めることができるだろうか。

日本は、各国と同様に、歴史の女神クリオによって試されている。
果たして日本はパンデミツク後も生き残るに値する国家なのかどうかを。
クリオが審判を下す材料は何だろうか。
危機の時期に生まれる学術や芸術も指標の一つであり、学術や芸術の飛躍はおそらく各国で見られるだろうが、それは究極的には重要な指標ではない。
死者数の少なさも、最終的な判断の材料からは外れる。
試されるのは、すでに述べてきたように、いかに、人間価値の値切りと切捨てに抗うかである。いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。

武漢で封鎖の日々を日記に綴って公開した作家、方方は、「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を哀遊し、世界中のものを貿いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。
基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」(日本語訳は日中福祉プランニングの王青)と喝破した。

この危機の時代だからこそ、危機の皺寄せがくる人びとのためにどれほどの対策を練ることができるか、という方方の試金石にはさらなる補足があってもよいだろう。
危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。
危機以前からコロナウイルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほどさらされてきた人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミツク後も尽くし続ける覚悟があるのか。皆が石を投げる人間に考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか。
これがクリオの判断材料にほかならない。
「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、パンデミツク後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れ落ちていくだろう。

藤原辰史:パンデミックを生きる指針 より抜粋

平気でうそをつくがなお認めないス史郎

日本での新型コロナウィルスの死者数が各国より少ない事に、玉川徹氏は
「検査していないのだから、感染者数はわからない。
(発表された)それは、感染した人の中で、亡くなった人の死者数でしょ」と発言。
これに
(肩書は元時事通信特別解説委員今は駿河台大学客員教授、だが安倍首相と何度も寿司をメインに会食もする)
田崎史郎氏が
「そうじゃなくて肺炎で亡くなった人を死後、CT検査をし、コロナウイルスなのかどうか、いちいち判断しているんですよ」と反論。
すぐに玉川氏が「全部じゃありませんよ」と返すが、
「全部やっているんですよ。その結果として、今の死者数が出てきているんで」と田崎氏も譲らず。

しかし直後に番組が、肺炎患者の死後のPCR検査の実態を東京都に聞いたところ
「現在把握しているのは3件。生きている方のPCR検査が優先。
何もかも行うわけにはいかなのが現状」という返答があったと紹介した。

CT検査とPCR検査感度の高い検査CT検査とPCR検査の違いは、その「感度と特異度」にあります。
感度:陽性の患者さんを陽性と診断できる確率
特異度:陰性の患者さんを陰性と診断できる確率

総理との会食でおなじみの曽我豪氏に捧ぐ

多事奏論 高橋純3月11日、わが子に初めて言われた。
「あの日のことだけは、感謝してる」
9年前のあの日。
東京・銀座の喫茶店を同僚と出た直後、強い揺れにおそわれ、早足で会社にとって返した。
同僚は正面玄関をくぐり、私は立ち止まった。
仕事に戻っていいのか? 
子どもは当時小学校低学年。
災害時には保護者が必ず迎えにくるよう言われていた。
その時、そばにタクシーが止まり、人が降りた。
よし、乗ろう。
全校生徒が校庭に集められていた。
いち早く自分の迎えが来たことに、子どもは驚いたような、ホッとしたような表情を見せた。

休校要請を知った時、2人の子を持つ同僚は足の力が抜け、下の子と手をつないだまま、その場にストンとへたり込んでしまったという。 仕事と育児の両立が難しいのはもとより、いい担任の先生と出会って、子どもの確かな成長を感じて喜んでいたのに、こんな形で断たれてしまうのか、と。
私は不思議で仕方がない。
これほど重大な判断を、首相はどうして会議の席で、紙を読み上げるような格好で、さらりと言ってのけることができたのだろうか。
すぐに会見を開いて、そう判断するに至った理由を説明し、言葉を尽くして理解と協力を求めたり、疑問に答えたりしようとは考えなかったのだろうか……と、
とりあえず疑問形でつづってみたが、実はすっかり腑(ふ)に落ちている。
2014年、集団的自衛権の行使容認を表明する首相会見で示された、赤ちゃんを抱く母親に寄り添う子どものイラストを見た時、私は思った。
薄っぺらな母子のイメージをこれほど雑に利用してのけるのは、女を、子を、そして子育てを、本当のところはナメているのだろうと。
「断腸の思いだ」。
休校要請の翌々日にようやく開いた会見で首相は釈明したが、そんな2日前の日記を読み上げられたところでいったい何になるというのだ。
あの日、多くの親たちが不安と困惑の渦に放り込まれた。
経済的、社会的に厳しい立場にある人は、より激しい渦へと。
それを「あとは自助努力でよろしく」とばかりに放置した首相は、
一国のリーダーとしての資質を欠いていると言わざるを得ない。

首相はこの間、国民とのコミュニケーションに明らかに失敗している。
下を向いて原稿を読むか、脇のプロンプターを見るか、この期に及んで国民と真正面から向き合っていない。
国難突破解散」だなんてかつては威勢よく危機を「演出」していたのに、本当の国難にあってこの極度の引っ込み思案ぶりたるやどうだ。
敵と味方を分かち、異論に耳を傾けず、「身内」を重用し、説明も説得も省いて「数の力」で押し切る、 そんな「一強」の構成要素はいま皮肉にも「弱」の要素に反転している。
「ワンチーム」なる言葉をあれほど空疎に響かせられるリーダーもそういないだろう。
鼻と口はマスクで覆いつつ、目を見開いてよくよく注視していこう。 危機に際してこの国の為政者がどう振る舞ったか、しっかり記憶に刻んでおくのだ。  (編集委員

会食後の記事はまだですか?

みんなどんどん先に行ってるよ。

「fukushima50」の真実

事故調の報告
  • ベントが菅直人のために遅れた
    A 住民の避難を待っていた、また手動でのベントは東電が成功と言った時間には実はできていなかった
  • 海水注入を官邸が止めた
    A 東電の武黒がやめさせようとした
  • 米軍はトモダチ作戦を実施
    Aトモダチと言いつつ、後日巨額の請求。海兵隊員は被ばく、40人以上死亡 400人以上が東電と日本政府を告訴
  • 協力企業の社員に吉田所長が帰ってもらう
    A 協力企業は事故時契約がないため柏崎刈羽に全員引き上げ
  • 地震だけなら全電源喪失をカバーできた
    A 地震で外部電源喪失
  • 想定外の津波と2回も
    A 吉田所長は15.7mの津波の警告を握りつぶした張本人
  • 作業員に帰宅を促す
    A 700人に近くで待機の命令を出したが650人が第二へ命令違反で撤退し、結果50人しか残らなかった

時に映画には多くの間違いが描かれる。

心して観賞しよう。

ちなみにfukushima50原作者は

f:id:greengreengrass:20200309070925p:plain

父親たちの星条旗」の作者はこう語る祖国のために戦った若者たちは 戦友たちのために死んだ。
これが表のメッセージである。
しかし、 言葉になっていないもうひとつのメッセージを探すとすれば、
次のようなものであるかもしれない。
戦争を美しく語るものを信用するな、
彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから

https://twitter.com/yuiyuiyui1114 に触発されて