良心的隠避・改ざん拒否の論理

準強姦揉み消しの内部メモを5ちゃんねるにアップしたのは私です。
官邸による揉み消しが報道された時から「資料捨てろ」という命令は出ていましたが、
財務省文書改竄が発覚してからいっそう酷くなりました。
簡易なメモや公的とは言えない記録も含めて、
政権に不都合な文書は一切処分せよというかのような指示ーもちろん巧妙に忖度させてーが何度も出たのです。

 

しかし、単なるメモも含めれば膨大な数の文書を、全て処分することができるはずもなく、
中には簡単に見れるものも存在します。
国民に対する裏切りを危惧する一部の者は、
幸運にも抹殺から逃れた文書を、人に託したり隠したりしています。 役所の内部は、残念ながら危機感を持つものは少数です。
圧倒的多数の政権迎合者や自称中立派にとって、文書抹殺は当然の業務なのでしょう。

 

しかし正直・公正であろうとすることが悪とされ、
政権に不都合な情報を出さないために監視され或いは相互に監視するといった状況に
良心から反発する者が存在することも事実です。
「なぜ今更出したのか」と5ちゃんねるのスレでも言われました。
先月、私の恩人であり、第二の父とも言える方が亡くなり、
「正直」をモットーとしたその方の生きざまを思い起こし、
私のこれからの生きる道を考えたとき、
どうしてもこの文書を胸の内にしまっておくことはできなくなりました。
今まで隠蔽に手を貸す形となってしまい申し訳ありません。
公正な社会のために、強姦魔の共犯者が首相であることを座視するのは、断じてできません。

ツイッターより