取材の意義はあったのか

(日曜に想う)大事を任せ、動かす信念と言葉 編集委員・曽我豪
人にものを頼み信じて任せることがいかに大切で難しいか。
新型コロナウイルスの感染拡大を巡り安倍晋三首相も痛感したはずだ。
緊急事態宣言の際も、都道府県知事との間で、何をいつどうやって任せるか、
齟齬(そご)や混乱は明らかだった。

会食の成果はこれかい。くるしいなあ。
冒頭は自身に跳ね返ってるよう

藤原辰史・京都大学准教授(農業史・環境史)
 宮殿で犬と遊ぶ「ルイ16世」の思考は
ずっと経済成長や教育勅語精神主義に重心を置いていたため、
危機の時代に使いものにならない。
IMFに日本の5.2%のマイナス成長の予測を突きつけられ、
先が見通せず右往左往している。
それとは逆に、ルイとその取り巻きが「役に立たない」と軽視し、
「経済成長に貢献せよ」と圧力をかけてきた人文学の言葉や想像力が、
人びとの思考の糧になっていることを最近強く感じる。

裏になにかある。

厚労省が業界団体に出した布マスク供給企業の募集文書には
『1枚当たり100~200円程度(納入場所までの輸送代込み)』
と調達予定価格が記載され、
価格、納期、数量、連絡先を明記した 見積書と
商品サンプルを厚労省に提出し、国からの発注書で購買契約が成立するとなっている。
これは公募して見積もりは取るものの、
競争のない随意契約で調達するということだ。
しかも通常は随意契約でも、できるだけ発注者(厚労省)に有利となるよう『価格交渉』が行われるが、
それもなく、200円程度ならば言い値でOKというスキーム(仕組み)なので、
各社は200円程度の見積もりを出すに決まっている。(=官製談合)

結局のところ、1枚いくら(単価)で契約したのかが全く不明なのも問題だ。
厚労省は単価を明らかにしない理由について
『今後の布マスクの調達や企業活動に影響(他の取引先との関係)を及ぼすおそれがある』
(福島氏への回答)としている。 これは、業務委託の発注などで発注価格を明らかにしない理由としてしばしば使われる『定型文言』だが、
費用を適正に反映した価格で国が購入しているならば、
単価を公表しても、今後の調達活動に悪影響はない。
単価が判明すれば、
その価格が基準となって談合を誘発するという理由で非公表とされることはあるが、
緊急だから随意契約にしているはずなのに、
競争入札を前提に談合の誘発を懸念するというのはナンセンスだ。

 

公共調達の監視業務に多く関わった経験からすれば、
発注官庁が価格の詳細を出したがらないのは、 官需と民需の価格の開きが大きい場合だ。
全国で極端に品薄になっている布マスクについて、
もし民間価格より著しく高い価格を設定した(=背任)というような事情で 非公表にしているのであれば、
それ自体が重大な問題だ。

 

 

以上 上智大法学部の楠茂樹教授

当初の予算は466億円
そして4社との契約と謳われていた。
その内3社は興和名古屋市)54億8千万円、伊藤忠商事(東京)約28億5千万円、、アパレル製造のマツオカコーポレーション(広島県福山市)約7億6千万円、合計約90億9千万円
経産省は、残る1社は(絶対)公表しない、と。

赤字青字部分は筆者

安倍が行ったことと私たちがやらなければならないこと。

Q-なぜ日本は失敗したのですか
内田 為政者が無能だったということに尽きます。それは総理会見を見れば一目瞭然です。
これだけ危機的状況にあるなかで、安倍首相は官僚の書いた作文を読み上げることしかできない。
自分の言葉で、現状を説明し、方針を語り、国民に協力を求めるということができない。
 ドイツのメルケル首相やイギリスのボリス・ジョンソン首相やニューヨークのアンドリュー・クオモ州知事
まことに説得力のあるメッセージを発信しました。それには比すべくもない。
 安倍首相は国会質疑でも、記者会見でも、問いに誠実に回答するということをこれまでしないで来ました。
平気で嘘をつき、話をごまかし、平気で食言してきた。

一言をこれほど軽んじた政治家を私はこれまで見たことがありません。

*

国難的な状況では決して舵取りを委ねてはならない政治家に私たちは舵取りを委ねてしまった。
それがどれほど日本に大きなダメージを与えることになっても、それはこのような人物を7年間も政権の座にとどめておいたわれわれの責任です。
安倍政権においては、主観的願望が客観的情勢判断を代行する。
「そうであって欲しい」という祈願が自動的に「そうである」という事実として物質化する。
安倍首相個人においては、それは日常的な現実なんだと思います。
森友・加計・桜を見る会と、どの事案でも、首相が「そんなものはない」と宣告した公文書はいつのまにか消滅するし、
首相が「知らない」と誓言したことについては関係者全員が記憶を失う。
たぶんその全能感に慣れ切ってしまったのでしょう、「感染は拡大しない。すぐに終息する」と自分が言いさえすれば、
それがそのまま現実になると半ば信じてしまった。

*

 カミュは有名な小説『ペスト』のなかで、最終的に「ペストを他人に移さない紳士」の存在に希望を見出しています。
「紳士」にヒロイズムは要りません。
過剰に意気込んだり、使命感に緊張したりすると、気長に戦い続けることができませんから。
日常生活を穏やかに過ごしながらでなければ、持続した戦いを続けることはできない。
「コロナ以後」の日本で民主主義を守るためには、私たち一人ひとりが「大人」に、
でき得るならば「紳士」にならなけらばならない。私はそう思います。

http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html より

Reuter Report

The prime minister’s support has been hurt by what critics say is a timid and sluggish response to the outbreak, and by widespread criticism that he has appeared tone deaf to the severity of the crisis in his own social media posts.

Abe’s wife, Akie, became a trending topic on Japanese Twitter on Thursday, with her name gaining more than 17,000 retweets by mid-morning after a weekly magazine said she had visited a shrine (*usa-jingu shrine) in southwest Japan on March 15.


“If she got infected this way, would she get special treatment with high-class medical care?” said another user, although some people also defended her as a private citizen.

*usa-jingu shrine Famous shrine in ohita pre and very famous come from [Monster Dokyo]

かって日本にも知性があった

憲法に緊急事態条項がない理由を、(日本国憲法制定時の)憲法担当だった金森徳次郎国務大臣が、制定時の国会で述べています。
「民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するためには、政府が一存で行い得る措置は極力防止しなければならない。
言葉を非常ということに借りて、それを口実に(権利や自由が)破壊されるおそれが絶無とは断言しがたい」

「こうした過去の反省を踏まえ、
日本国憲法が用意した緊急事態条項が、
参議院の緊急集会の制度を定める54条2項ただし書きです。
戦前の緊急勅令の制度を独自に換骨奪胎しました。
緊急集会でとられた措置は臨時のもので、
衆議院の同意を得られないと効力を失い、
事後的に必ずチェックを受ける仕組みになっています」
石川健治

不断の努力

https://twitter.com/knakano1970/status/1250939727676452865

ニュースを見ていると、
与党の提言でひとり10万円給付になったかのようですが、
記憶では、国民民主の玉木さんがいち早く主張していた。
先日閣議決定された30万円給付案が、
対象があまりに狭い上、
不公平なことに国民の批判の世論が沸騰したことに与党が動揺して、
急転直下、10万円給付となった。

公明党がどうのこうのとはやし立てているが、)
報道機関の皆さん、簡単に調べがつくのですから、
この程度のことは正確にお願いします。

歴史に学び今思考することは

ペストの猛威、三十年戦争リスボンの大震災、
ナポレオン戦争アイルランドのジャガイモ飢饉、
コレラやペストや結核の蔓延、第一次世界大戦
スペイン風邪ウクライナ飢饉、第二次世界大戦チェルノブイリ原発事故、東京電力原発事故。
世界史は生命の危機であふれている。
いずれにしても甚大な危機が到来したとき、現実の進行はいつも希望を冷酷に打ち砕いてきた。
とりわけ大本宮発表にならされてきた日本では、為政者たちか配信する安易な希望論や道徳論や精神論(撤退ではなく転進と表現するようなごまかしなど)が、人を酔わせて判断能力を鈍らせる安酒にすぎないことは、歴史的には常識である。
その程度の希望なら抱かない方が安全とさえ言える。

想像力と言葉しか迺具を持たない文系研究者は、新型コロナウイルスのワクチンも製造できないし、治療薬も開発できない。
そんな職種の人間にできることは限られている。
しかし小さくはない。
たとえば、歴史研究者は、発見した史料を自分や出版社や国家にとって都合のよい解釈や大きな希望の物語に落とし込む心的傾向を捨てる能力を持っている。
そうして、虚心坦懐に史料を読む技術を徹底的に叩き込まれてきた。
その訓練は、過去に起こった類似の現象を参考にして、人間がすがりたくなる希望を冷徹に選別することを可能にするだろう。
科学万能主義とも道徳主義とも無縁だ。
幸いにも私は環境史という人間と自然(とくに微生物)の関連を歴史的に考える分野にも足を突っ込んでいる。
こうした作業で、現在の状況を生きる方針を探る、せめて手がかりくらいを得られたらと願う。

人びとは、危機が迫ると最後の希望をリーダーとリーダーの「鶴の一声」にすがろうとする。
自分の思考を放棄して、知事なり、首相なり、リーダーに委任しようとする。
たしかに、もしも私たちが所属する組織のリーダーが、とくに国家のリーダーがこれまで構成員に情報を隠すことなく提示してきたならば、
そのデータに基づいて構成員自身が行動を選ぶこともできよう。
異論に対して寛容なりーダーであれば、より創造的な解決策を提案することもできるだろう。
データを改竄したり部下に改竄を指示したりせず、きちんと後世に残す文書を尊重し、歴史を重視する組織であれば、ひよっとして死ななくてもよかったはずの命を救えるかもしれない。
自分の過ちを部下に押し付けて逃げ去るようなそんなリーダーが中枢にいない国であれば、ウイルスとの戦いの最前線に立っている人たち、たとえば看護師や介護士や保育士や接客業の不安を最大限除去することもできよう。

危機の状況にも臨機応変に記者の質問に対応し、少致意見を弾圧しないリーダーを私たちが選んでいれば、納得し て人びとは行動を起こせる。
「人類の叡智」を磨くために、「有事」に全く役に立たない貿い物をアメリカから強制されるのではなく、研究教育予算に税金を費やすことを使命と考えてき た政府であれば、
パンデミックに対して少なくともマイナスにはならない科学的政策を提言できるだろう。
ところが、残念なから日本政府は、あるいはそれに類する海外の政府は、これまでの私たちが 述べてきた無数の批判に耳を閉ざしたまま、
上記の条件を満たす努力をすべて怠ってきた。

そんな政府に希望を抱くことで救われる可能性(『週刊文春』の3月26日号に掲載された 「最後は下部のしっぽを切られる」「なんて世の中だ」という自死寸前の赤木俊夫さんの震える手で書かれた文字群)は、
現在の国会での政府中枢の驚くべき緩慢な言葉によって、粉々に打ち砕かれている。
この政権がまだ45.5パーセントの支持率を得ているという驚異的な事実自体がさらに事態を悪くしている(共同通信社世論調査。2020年3月28日配信)
その上、「緊急事態宣言」を出し、基本的人権を制限する権能を、よりにもよって国会はこの内閣に与えてしまった。
為政者が、国民の生命の保護という目的を超えて、自分の都合のよいようにこの手の宣言を利用した事例は世界史にあふれている。
どれほどの愚鈍さを身につけれ ば、この政府のもとで危機を迎えた事実を、楽観的に受け止めることができるだろうか。

日本は、各国と同様に、歴史の女神クリオによって試されている。
果たして日本はパンデミツク後も生き残るに値する国家なのかどうかを。
クリオが審判を下す材料は何だろうか。
危機の時期に生まれる学術や芸術も指標の一つであり、学術や芸術の飛躍はおそらく各国で見られるだろうが、それは究極的には重要な指標ではない。
死者数の少なさも、最終的な判断の材料からは外れる。
試されるのは、すでに述べてきたように、いかに、人間価値の値切りと切捨てに抗うかである。いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。

武漢で封鎖の日々を日記に綴って公開した作家、方方は、「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を哀遊し、世界中のものを貿いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。
基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」(日本語訳は日中福祉プランニングの王青)と喝破した。

この危機の時代だからこそ、危機の皺寄せがくる人びとのためにどれほどの対策を練ることができるか、という方方の試金石にはさらなる補足があってもよいだろう。
危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。
危機以前からコロナウイルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほどさらされてきた人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミツク後も尽くし続ける覚悟があるのか。皆が石を投げる人間に考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか。
これがクリオの判断材料にほかならない。
「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、パンデミツク後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れ落ちていくだろう。

藤原辰史:パンデミックを生きる指針 より抜粋

平気でうそをつくがなお認めないス史郎

日本での新型コロナウィルスの死者数が各国より少ない事に、玉川徹氏は
「検査していないのだから、感染者数はわからない。
(発表された)それは、感染した人の中で、亡くなった人の死者数でしょ」と発言。
これに
(肩書は元時事通信特別解説委員今は駿河台大学客員教授、だが安倍首相と何度も寿司をメインに会食もする)
田崎史郎氏が
「そうじゃなくて肺炎で亡くなった人を死後、CT検査をし、コロナウイルスなのかどうか、いちいち判断しているんですよ」と反論。
すぐに玉川氏が「全部じゃありませんよ」と返すが、
「全部やっているんですよ。その結果として、今の死者数が出てきているんで」と田崎氏も譲らず。

しかし直後に番組が、肺炎患者の死後のPCR検査の実態を東京都に聞いたところ
「現在把握しているのは3件。生きている方のPCR検査が優先。
何もかも行うわけにはいかなのが現状」という返答があったと紹介した。

CT検査とPCR検査感度の高い検査CT検査とPCR検査の違いは、その「感度と特異度」にあります。
感度:陽性の患者さんを陽性と診断できる確率
特異度:陰性の患者さんを陰性と診断できる確率